2009年11月6日(金) 新入生が高速道路を自転車で走る
11月6日(金)19時30分、千葉県警高速道路隊から、学院に電話がありました。
「京葉道路の下り線を自転車7台で進入、現在は安全な場所に居る。日本語が判らず、学生証を持っていたので電話した。現場に来てほしい」(ここで、ミスをした。ご連絡をいただいた警官の携帯電話番号を確認しなかったのです。学院の電話番号には表示されていましたが書き取りませんでした)
K生活担当職員、通訳の呼び出し、学院の留守番に寮長の呼び出しを行い、対処によってはと、事務局長に連絡をとり、揃ったところで現場に向かった。
20時30分、現場が判らず京葉道路の幕張インターから入って、幕張サービスエリアを抜けて武石インターまで、居ない、現場が判らない。以前に幕張インターの入り口に隊舎があった事を思い出して、幕張インターまで戻ってみるが、無い。幕張インターの周辺を探すが無い、コンピニ、ガソリンスタンドに聞いても無い。(後で、ここは移転してなくなっていた事を聞く、無いわけです)私からは、連絡する方法が無いので、路肩に止めて思案していたら、再び電話、あまり遅いのでかけてきた。
結局、幕張サービスエリアの一般道路出口の所に居る事が判り、三度目の京葉道路下り線に、サービスエリアも2度目だ。
21時30分 いたいた、早速警官から説明を受ける。自転車7台が走っているとの110番が入り、バトカー3台で安全を確保してサービス・エリアまで誘導したとの事、恐縮する。
学生が10月期入学生であること、まだ日本語能力が十分で無い事などを説明した。責任者の方が、新品の自転車で、防犯登録もしてあり(確認したらしい)、今後は学院で十分に監督をしてくださいと注意を受けた。
全員に、責任者の方から注意があった。しかし、3人の学生が話を聞きながらニヤニヤしていて、全く緊張感が無く、警察官が注意する場面もあった。私から、南アジア特有の、緊張するときは、微笑むことを伝え、他意の無い事、学生には日本の習慣として、笑っては行けない事を縷々説明をした。
特別に、サービスエリアの扉を開いて、一般の道に出していただいた。
帰り道が判らない。散々迷って、同行の職員から電話があり、誘導する。「いま居るところから、私は車で誘導するので、後ろから、ゆっくりついてくるように。曲がり角には、曲がって待っているので…」と話をして、50メートルを行ったところで、右折、すぐに止まって後ろから来て曲がるのを待っていたら、なんと直進していくのではないか。車をUターンして追いかけて止める。もう一度、説明してら、「判りました」とのことだった。3カ所をうまく曲がって誘導した。最後のところで、(ここまでは、直進じ一番長い区間)待つが来ない。20分たっても来ない。寮長に電話して、なんと「寮」に帰っているとのこと、何だこれ。
学院に来てもらい、通訳を入れての説明と、注意をした。
新入生オリエンテーションでは、交通規則や自転車のことを説明していますが、高速道路のことまでは言っていなかった。想定外でした。
午後は、東京のN先生が見えて、お話をしました。夕方には、モンゴルホーミー協会の日本人で唯一のプロライセンスを持っている、梅木さんが来訪した。学院に居たモンゴル学生2人、(後から一人)が居て、紹介したら是非聞きたいとリクエスト、梅木さんも、モンゴル語で話をしながら、演奏をしてくれた。学生たちは、モンゴルを思い出したようです。学生からは、演奏しているときは、何を考えているのかと質問が出て、梅木さんから、アルタイで生活した事、その生活をしてから曲の演奏がかわったことなどの説明があリました。束の間の交流でしたが、とっても印象に残りました。
2009年11月5日(木) ぞくぞく申請書類が到着
午前中は、出張報告と清算の作業、
お昼は、ボランティアで協力していただいているtoku自遊人が来訪したのでご一緒させていただく。丸八食堂で、焼き魚(サンマ)定食560円です。toku自遊人は、レバニラ定食、レバ-の大きいことにビックリでした。
午後は、到着した申請書の分類作業で終わりました。
夕食は、残業していたk教員と回転寿司のカッパ寿司に、思いっきりお寿司を食べたかったのです。まだ、中国帰りを引きずっています。
自宅のお風呂が壊れて使えません。学院ちかくの仙人風呂(550円)に行って、思いっきり洗うこと2時間、冷たい牛乳も飲んで、とても満足です。
2009年11月5日(木)17時33分配信 Record China から転載です。
2009年11月4日、華字紙・日本新華僑報は「中国人留学生の日本留学観」と題した記事を掲載した。来日2年になる筆者は「日本人からたくさんのことを学んだ」と綴っている。以下はその内容。
日本が第2次大戦の敗戦からこれほど見事な経済発展を遂げたのは、日本人の性格と文化が深く関係していると思う。正直に言うと、来日する前は日本人の細かすぎる性格は理解できないと思っていたが、2年間の留学生活でその考えは一変した。その細かい性格があってこそ、企業は常に自分たちの製品に改良を加え、顧客サービスを徹底させている。中国人は見習うべき点が多いと思った。
携帯電話の液晶パネルを製造する工場でアルバイトをしているが、わずかなホコリも許さない徹底した品質管理に感心した。だが、日本人にとってはこれが当たり前。「給料をもらって仕事している」という意識が身についている。これは小さい頃からの教育の賜物なのだろう。それに、日本人は出来るだけ他人に迷惑をかけないよう気を配っている。公共の場で携帯の呼び出し音が鳴り響くことはないし、風邪をひいたら他の人にうつさないようマスクをする。これらはすべて、ごく自然な振る舞いなのだ。
日本への留学を決めた理由は、最初は単に大学で日本語を専攻したからという程度のものだったが、今では日本に来て本当に良かったと思っている。日本人からたくさんの尊い精神を学ぶことが出来たからだ。日本での経験は今後の社会人生活に大きなプラスになることは間違いない。(翻訳・編集/NN)
2009年11月4日(水) 久しぶりの学院、学生の顔を見る
朝は、ガス釜の修理依頼、そして学院に
午前中は、報告を聞いて、打合せ
到着している申請書類に目を通す。
昼食は、午後2時、パンケの味噌ラーメン
午後は、出張報告と経費の精算書、領収書の処理です。
幾つかの学校から、電話が来て募集状況の情報交換をしました。
夜は、メールを処理しながら、学生と話をしています。
男子学生の希望者と一緒に、銭湯に行ってきました。皆、温泉とか言って大喜びです。
いつものように、出張の疲れも無く、体調は良いです。
夜の自習をしていた学生もかえり、23時30分、私も帰宅します。
2009年11月3日(火)中国15日目(北京・成田)2週間の旅の終わり
6時 起床(帰国準備の荷物整理、メールの確認と返事)
8時 朝食 トースト中心で、いつもあったヨーグルトが無い、服務員のお姉さんに「無い」と言ってもらったら、出てきた出てきた、たくさん出てきました。出し忘れ、それともケチった?
食後も、ノンビリと話をしました。
10時 チェックアウト
タクシーで、北京駅まで言ってシャトルバスの予定でしたが、タクシーの運転手が「エアーポートライナー」と言う電車が早いと言う。駅までお願いして(運転手さんごめんね、料金をとるために遠くまで行くのかと疑いました)ビックリ、この電車とても早いです。先日の、空港から北京西駅まで、約1時間半掛かったのが、今回は30分です。
車窓からの北京
北京首都空港に着いて、ANAの搭乗手続きカウンターに行ったら、紅さんが着いていた。故郷の赤峰から約9時間の夜行寝台列車で追いつきました。
11時30分 搭乗手続き
昼食 麺です。どうして空港の食事は高い割りには美味しくないのでしょうか。
14時50分 北京首都空港発(ANA906便)
機内食です。おいし~~~いです。とっても…、とっても…
18時55分 風が強いそうで、20分も早く成田空港着
京成電車で、大久保駅に、学院に立ち寄り、車で自宅に23時に着きました。
夕食を食べて、さてゆっくりお風呂にと思ったら、なんとガス釜の故障、これだから全自動は困ります。さっさとねることにしました。
2009年10月25日(日)中国6日目(威海)
7時 ちょっノンビリと起床、一週間分の洗濯
8時 朝食
9時~12時 打合せ
12時30分 ここから帰国するM先生の見送り
午後は、足壺マッサージをしてのんびりと過ごす。
途中で買った、焼き芋は500グラム(3個)3元(約45円)でした。これが、日本の芋と品種が違うのですが、甘くて美味しいです。
おもわず「美味しい~~~~」と叫んでいます。(昼食です)
夕食は、地元お薦めの「麺」です。
ザウジャー麺は中国語、ジャージャー麺は韓国語ですって。
帰り道に大好きな「夜市」に出かけました。
射的(10発2元)です。なんと97点/100点満点を出しました。
射的屋の親父と
はじめてみました。何でしょうか
これは、「湯たんぽ」、しかも電気で暖める。
欲しいですが、200ポルトですから、日本では使えません。
公園の見学,昴で踊っています。これって「レクダンス」ではないですか。
20時 ホテルに戻り
1時 就寝
2009年10月24日(土)中国5日目(青島→維坊→威海)
5時 起床
5時30分 チェックアウト
タクシーで青島駅に
6時52分発のD60で灘坊に行く。
学校訪問
昼食
13時30分 出発
ひたすら、走りました。
| 19~面接 | (泊)威海 | 1:08 ①103 ②86 | ||||||||||||
2009年10月20日(火)中国一日目(上海・厦門・福清)
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突然ですが、今日から中国に来ています。これまで、ブログを20日間近く書くことも出来ないくらい、ベラ忙しく毎日アクセスしていたいる皆さんには、大変ご心配をおかけし、大変申し訳ありません。
連日のスケジュール調整に、深夜までしていました。まだ追いつくまでには時間が必要ですが、必ず追いつきたいと思います。
5時 起床・自宅発
7時 学院(なんと教員のK先生が居た。4時ごろに学生から電話が有って、調子が悪いとのことで、病院に連れて行ってきた。特に異常が認められないとのことで、寮に帰した所だそうです)
京成大久保駅→成田空港第一ターミナル駅→8時(ANAカウンター前待ち合わせ)
成田空港 10:00発(NH935)→着13:20 厦門空港 14:30→(迎えに来てくれたMさんの車で、高速道路を 3時間)→17:00 福清に着きました。
考えてみれば、約300キロ、東京と仙台くらいの距離です。
地元で日本語教師をH先生と一緒に夕食を食べました。
10月期生の入国
2009年10月2日(金)
2009年10月3日(土)
2009年10月4日(日)
2009年10月5日(月)
2009年10月6日(火)
2009年10月7日(水)
2009年10月8日(木)
2009年10月9日(金)東京入管の不交付理由説明会(入国なし)
2009年10月10日(土)
と連日、入国する学生が、成田空港に出迎え(一日4往復もありました)、入学手続き、入寮手続きと続きました。
ついに、10月8日(木)の午前中、教員の一人が学校で倒れ入院してしまいました。
10月期生の受入準備
2009年10月2日・3日
半年に一度の寮の部屋替えを行った。
男子は藤崎寮からは,新たに借りあげた1DKに引越し、以後はこれから入学する学生を入れることにした。学生の中から「寮長」を任命したした。
これは、スムーズに進んだ。
女子寮は、学校に一番近いアパートと、大久保駅に近いところの寮生を入れ換えた。ここで、移りたくないと主張する学生が、いま生活している学生たちを、玉突きのように変えていくという計画が、崩れてしまった。そして、空いた部屋に、やりくりをしながら移していく。へやの掃除が間に合わない。担当の先生が、連日連夜深夜まで掃除をしていたのです。
結果、先生が過労で倒れ入院、3日間の加療となりました。、
すみません、そんなわけでブログの更新が出来ませんでした。
京都に会議で来ています。
2009年9月30日(水)
京都に来ています。(写真は後で入れます)
平成21年度日本語教育セミナー(主催 日本語教育振興協会)今年で、
13回目を迎えました。
テーマは「留学生30万人」計画のスタートにたって~教育の充実
とそれを支える教師の育成~です。
13時から開会の挨拶と佐藤理事長から講話が有りました。
13時40分から全体会Aです。
西原純子氏(京都日本語教育センター京都日本語学校)から、この
パネルディスカッションがテーマが「教育の課題と教師の育成につ
いて」と趣旨説明の後、安倍雅祥氏(青山スクールオブジャパニー
ズ)の司会で5人のパネリストからお話が有りました。
○長沼スクール東京日本語学校の鈴木潤吉氏からは、「学びの共同体
を目指して」、「化石化する学校」とは?-「ベテラン」教師と「ワ
ンマン」の弊害、井の中の蛙の共同体と踏み切ったお話で、活力の
ある学校とは?と問題提起が有りました。
○アークアカデミー渋谷校の遠藤由美子氏からは、時代が求める質
の高い日本語教育を目指して、日本語学校生の入り口から出口~日
本語教師養成~日本語教師養成科の受講生の変化とお話がありまし
た。
○インターカルト日本語学校の筒井由美子氏からは、多様化する時
代の日本語教育と教師として、日本語学校の試み、日本語教師「こ
うありたい姿」、日本語教師養成コースの考え方が述べられた。
○イーストウエスト日本語学校の嶋田和子氏からは、新しい動きの
中で教師力アップを考える、日本語学校を取り巻く環境の変化、現
職教師の教師力アップのためにすべきこと~ネットワーキングの構
築について話された。
○IC.NAGOYAの丸山茂樹氏からは、変革時代のキーワード
として「受入段階」~「教育①段階」~「教育②段階」~送り出し
段階のそれぞれに説明が有りました。
15時55分からは、現在振興中のプロジェクトチームから進行状況
について説明が有りました。
○ビジネス日本語カリキュラム・教材開発プロジェクトは、カイ日
本語スクールの山本弘子氏から、シラバスからカリキュラムに進ん
でいる。
○日本語教育スタンダードを考えるプロジェクトは、新宿日本語学校
江副隆秀氏から、説明が有りました。
○大学院進学・環境整備プロジェクトは、アジア学生文化協会町田恵子
氏より、大変困難なさぎょうになったと説明が有りました。
16時10分から、全体会Bとして、Aでパネラーだった先生方を各自
が自由に選び、意見交換を行った。
18時30分から交流会1(立食の夕食)、20時30分から別室に移動して
交流会2、22時30分にお開きになりました。
。
情報とは、情けに報いること…
2009年9月27日(日)
情報化社会と言われて久しい。いまは、情報「過」社会となった。この「情報」を英語では、Information (インフォメーション)です。私には、この言葉は、一方通行的に感じしか受けない。情報は、情けに報いると書く、発信者には受信者に、受信者には、発信者のそれぞれ「情け」が必要なんです。
例えば、全く関心を持っていないことに対するものは、目の前にたくさんあっても、見落としているのです。それば、自分が関心があって、見つけたことであっても、関心のない他人にとっては、必要の無いものです。
若かりし頃、株が知りたかったら、会社の株を買えと言われた。東京2部上場会社でしたので、新聞で毎日株価を見ていた。海外に出かけるようになって、ドル相場の動きが気になった。少しばかりの外貨預金をしてみたので、毎日ドル相場を見て、1円の変動に一喜一憂した。
このブログもそうですね。私にとっては「おっ」と気がつくものを紹介していますが、関心のない人にはゴミかもしれません。ですから、とにかく、読んでいただいた「誰か…」のお役に立てれば、幸いなんです。情けに報いるための努力は、「発信」だと思っています。取捨選択は、皆さんです。
ですから、出張でプログの更新が出来なくても、毎日約100のアクセスがあるのは、本当にうれしいです。
私は情報の受け手としての話しです。さて、忙しくなると、無茶苦茶に本が読みたくなります。何でも良いです本なら。先週は、本屋で「官僚たちの夏」が文庫で平積になっているのを見ました。オビを見たら7月にテレビドラマ化されて、放映されたようですが、私は出張と重なり見ることが出来ません残存でした。見たかったです。この本は、何度も読み返していました。この本の主人公の風越信吾こと「佐橋 滋」さんは、お会いしたことが有ります。きっかけは、経済企画庁(当時)の国民生活審議会の専門委員会のひとつ「余暇行政に関する委員会」の委員として2年間過ごした後、「余暇開発センター」の幾つかの委員会に参加しました。通産省の事務方のトップ(次官と言います。省のトップは大臣です)までなったのに、その後は一切天下りせず、なぜ「余暇」なのかが判りませんでした。国民の余暇が充実すれば、移動の交通機関、宿泊のホテルや旅館などのサービス産業分野が発展する。国の産業政策として、国民の余暇をどのように充実させるかは、緊急の課題ですと説明された。私は、レクリエーションという非常に狭い世界で、物事を考えていたことが、とても恥ずかしかった。私の考え方は、大きく広がったのです。そんな、影響を与えてくれた人でした。あれ以来、たくさんの行政の人たちとおつきあいをしていますが、似たような人は居ますが、越えている人にはあっていません。
本の立ち読みも得意です。本屋に行くチャンスが少なくなった。その分、コンピニで週刊誌で特定のマンガだけは、必ず読みます。その一つに、社長島耕作があります。昨日読んだら、「田子坊」のことが出ていた。このブログでも一度紹介しましたが、中国・上海ので、街の再開発としてはユニークに感じていたからです。主人公の島社長が、打合せに田子坊のカフェに行こうと言い、その場面が出ていますが、んーん、いい感じです。ぜひ、一度行ってみて下さい。
と言うわけで、皆さんの情けに報いたのでしょうか。
今日は、夕方から「誕生日会」です。毎月やってあげたいのですが、いろいろと都合があって2カ月分合同で誕生日を迎えた学生をお祝いします。今日は、流しソーメンと天ぷら、勿論、バースディーケーキも用意してあります。私は、天麩羅(てんぷら)をあげます。
写真は明日、入れます。
2009年9月25日(金) 前期校外活動(東京都内見学)
2009年9月25日(金) 晴天
私は、6時に起きました。
7時30分 集合・出発(なんと、欠席・遅刻なし)
モンゴル学生のお母さんが来日しているので、今日は一緒に参加してもらいました。
交通情報で、予定していた京葉道路が交通事故で混雑とのことで、JR津田沼駅の北口から南口に廻り、千葉街道から湾岸道路に、下り車線で迂回して、習志野インターから、湾岸道路、首都高速道路で、都内に入りました。車窓から、レインボーブリッジ、東京タワーを見物
9時30分 国会(衆議院)を見学
皇居の外周を廻って、日比谷から銀座、築地と通ってお台場に、未来館を見学しました。
フジテレビを見学
13時、ワシントンホテルで、食べ放題の昼食
海ほたるの見学
17時 学院に到着解散
私は、お昼を一緒に食べて、14時30分に出発するみんなを見送り、東京にE先生と情報交換をして、18時にM先生とN先生と、打合せをしました。美味しいイタリア料理と楽しい会話、あっと言う間に4時間も過ごしてしまいました。
留学生の事故(自転車どうしの事故)
留学生が、自転車で、道路の左側歩道(自転車通行可)、左側通行を自転車で走っていたら、歩道の右側を走ってきた高齢者の自転車のハンドルがぶつかり、転倒した。
学生は、お年寄りから「大丈夫か」と声をかけられた。「大丈夫」と答えたら、その高齢者は、立ち去ったそうです。
寮に戻って、学院に電話をしてきた。
早速、留学生活支援担当の先生2人か寮に急行した。
外傷が数カ所あったが、一倍大きいのは右手親指のつけねから出血している。休日救急病院に車で連れて行く。
結局3針縫いました。
この治療に関しての、費用は、国民健康保険で支払い、本人負担(30%)が有りますが、習志野外語学院では、本人負担で支払った金額の領収書を提出すれば同じ金額が支払われます。つまり、病気の心配はまったくありません。
生活支援担当者が事故の場所に同行して、どのような状態だったのかを現場で聞き取り調査をしたようです。
2009年9月21日(月)いらいらする一日
10月期生で入学する学生からの学費の入金が、あと2人確認できない。一人は、学院の口座に入っているが、詳細は連休明けに銀行が始まらないと判明しない。もう一人は、送ったと言ってきているが、口座の銀学に変動が無いので、入金の確認が出来ない。一日でも早く先方でもほしがっているが、どちらかが確認できれば良いのだが。中国のスタッフからはこの2日、何の連絡も来ない状況では、一人でやきもきしてもしょうがないのか。
中国銀行に作った口座の入金確認のため、セブンイレブンに昨日から何度も通っている。メールによれば、18日に振り込んだと言うのだが、まだ口座の残高に変動は無い。
午前中は、学生が来て4階図書室でネットをしていた。
昼食は、津田沼駅前のデニィーズで、その後ララポートに行って本を買う。私の読書は精神安定剤の役割なのです。
夜は、ミャンマー学生が来て、院試のこと、これからのことについて話しをした。出勤してきていた小森先生と3人で夕食を食べた。
ブログの処理、溜まった書類や手紙の処理、メールのやりとりで2時帰宅でした。
日本留学に関わるニュースです。
日本留学の好材料が次々に、希望者も大幅増=卒業後の就労ビザ取得枠拡大など―中国
2009年9月18日(金)12時50分配信のRecord Chinaから転載
2009年9月16日、日本への留学を希望する人たちに朗報が続いている。文科省などによる「留学生30万人計画」をはじめ、留学・就学ビザの在留期間3か月延長、卒業後の就労ビザ取得枠の拡大(従来は在学中の専攻と関連ある職種のみだったが、職種の制限が撤廃された)などによって、日本へ留学を希望
する人が中国で増えている。南方日報が伝えた。
先日、広東省広州市で行われた日本の語学学校や大学などの入学説明会には多くの人が詰めかけた。
ある統計によれば、日本留学に関する問い合わせは今年に入って30%増加しているという。しかし、ある専門家は、日本の語学学校のシステムについて、一部の中国人学生は誤解している面もあると指摘。日本の大学に入学するには当然、試験を受けなければならない。そのため、いわゆる「日本語学校」は日本語を教えるだけでなく、大学入試(日本留学試験=留学生向け入学試験)に留学生を合格させる教育機関という側面がある。
日本留学試験は、従来の日本語能力試験と私費外国人留学生統一試験に代わるものとして2002年から実施されているが、日本留学試験は中国国内では実施されていない。この試験に合格するためには、まず日本で語学学校に入学するのが近道だ。一部大学には留学生の大学進学をサポートする「留学生
別科」も設けられているが、設置している大学は多くない点にも注意が必要だと、専門家は指摘している。(翻訳・編集/岡田)
2009年9月19日(土) 31日目 (中国) 済南・北京・成田
5時 起床(外はまだ暗いです)
5時30分 チェックアウト
6時 予約のタクシーが来る。
6時30分 済南空港着(搭乗手続き、これが荷物を成田までスルー、つまり北京で受け取らないでそのまま成田まで送り、成田受取りをしたいと言ったのだが、通じない)
7時55分 済南空港発
ちり紙の耳栓です。
8時50分 北京空港着
朝食
12時 昼食
13時25分 北京空港発
隣の座席の青年(下の写真)が、機内食にノーミルク、ノーエッグのスペシャルミールを要求している。しかし、着いてきたパンを見て首をかしげた。漢字が判らない、牛乳、ミルク、卵、玉子、タマゴ、と字を書いて見せた。そのメモを大事にしまった。
18時 成田空港 着
京成電車で大久保駅に
隣はさっきの飛行機で北京から一緒だったアメリカの青年、明日から渋谷で開かれるメッセンジャーの選手権に出ると自転車を持ってきていた。
ネットで探してみたら、サイクルメッセンジャー世界選手権 東京大会が開かれているのですね。このホームページをプリントアウトしたものを持っていましたので、間違いありません。そのページです。ここには、日本語を学ぼうも、時間を作って応援に行くか。
前の座席には、中国系アメリカ人、「八幡」でおりると言うので道案内、私の中国語が通じました。
21時学院発
21時30分 自宅に帰る。
長い」旅」が終わりました。
たくさんの皆さんの温かいご支援に感謝します。
ありがとうございました。
2009年9月18日(金) 30日目 (中国) 済南
7時 起床
8時 朝食(外で食べてみた。安いです)
9時 帰国準備
今回の一番おお土産です。
大連事務所のケンさんが見つけてきました。表紙の自遊(サンズイですが)由人が読めますか。ガイドブックのようです。
途中で、山東建築大学の先生からまだ済南に居るなら、夕食を食べようと誘われる。友人の社長とご一緒とのこと、午後6時の約束をする。何度も、中国銀行の口座の残高確認をするが、振込予定の日時を過ぎているが、入金は無い。学費と寮費の入金確認が出来ないと在留許可認定証明書は送れない。後2人です。
ネットの調子がいい。調子に乗って、気がついたら14時でした。
昼食に、マクドナルトを買いに行ってもらう。行く時間も惜しいので。
最終の出張清算書類の作成、日本に帰ってからだと1カ月あとになる。集中して出来るいましかチャンスがありません。
17時30分 外出、バスで最初の待ち合わせ大学の正門に行く。これが、日本語だと「せいもん」、中国語の直訳「せいもん」、え、と聞き返したら「西門」のことだと判って大笑いです。
西門の前でタクシーがつかまらない。約30分もかかった。
18時の約束が、会場に着いたら19時30分でした。
山東省の宣伝部、会議で一緒だったという烟台市の宣伝部のそれぞれお偉い方も加わり、賑やかで楽しいひとときを過ごしました。
23時 ホテルに戻り、直ぐに寝る。
2009年9月17日(木) 29日目 (中国) 済南
6時 起床・洗濯
7時 朝食
8時 昨夜の清算から出張精算書の作成やら、メールも処理して…、
10時ごろ、突然ネットがつかえなくなりました。何で、何で、フロントに電話しても、こっちもダメ、理由が判らず、1時間の待機、あきらめた。
11時 青島海天旅行社(日本部)に依頼した、北京行きの飛行機チケットの返事が来た。なんと、19日の朝の飛行機です。北京行きの夜行寝台列車は、この数日満席で無しの状態です。これで、予定を決めましょう。
外出する。中国銀行に行って、残高確認と航空券の代金振込のためです。
最初に、旅行会社からFAXでもらった振込先を見せて、振込伝票に書いたのですが、受取人の身分証番号がなければ送れないと言う。(ちなみに、私は中国て初めて振込ということをしました)しょうがない、旅行会社に電話して番号を聞くが、無くても送れるはずだと、そこで電話を銀行の担当者に渡して話しをしてもらうが、結局、番号を書くはめになった。
窓口で、私の中国銀行の口座は、上海で作ったもの、ここは山東省なので、いったんお金を口座からおろして(手数料で3.4元必要)、そのお金を旅行会社に振り込む(これが10元必要)こととなった。まったく手間と時間とお金のかかることです。680元(約10200円)を振り込むのに13.4元(201円)が必要なのです。ま、日本人的な感覚で言えば、振込手数料が必要なのは判るのですが、その後のサービスが…、いったん引き落としされるのですが、通帳に記帳してくれないのです。伝票だけ、通帳への記入は上海にいかなければ出来ないのです。中国銀行にしてこの状況です。
ATMで、口座の残高照会をした。通帳の記帳が出来ないのですから、残高の動きで知るしかありません。ところが暗証番号を入れるのですが、「不是」(ダメ)と表示されるのです。2回目もダメ、3回目もダメだとカードがATMに回収されてしまうそうです。いったん操作をやめて、カードを取り出しました。何で、何で、いままでレストラン・ホテルのどこでも使えた。暗証番号は間違って居ません、自信があります。
外に出て、まずは一服、納得がいかないから、もう一度…、でよくよく暗証番号入力用のテンキーを見ておどろいた。数字の配列が違いますよ。いままでのは、上段から1・2・3と並んでいたのが、下段から1・2・3となっている。これではいままで通りに入力してもダメですよ。
教訓---中国では、入力する前にキーボードを良く見る。
13時30分 昼食
肯徳基(ケンダッチーと発音します)、海老バーガーを食べました。
近くには、マクドナルトが有ります。
麦当労(メイタンローと発音します)、24時間営業です。
駐車場で見つけた、究極の盗難よけ
思ったら、フロントの赤い紙には、車の安全のために鍵を着けましたと書いてある(多分直訳でしょう)、これは日本の違法駐車につけるのと同じなんですね。きっとこの駐車場に放置してある車と思います。
銀行の行き帰りに、昨夜乗ったバスに乗りましたが、このカンバン、良く見かけます。
済南の街が身近に感じます。隣の人に名刺を出して私の名前を見せたいです。
いったんホテルに戻り、1時間の昼寝を楽しみました。
ネットが動くので、鳩山内閣発足のニュースを見ていたら、あっと言う間に3時間がたってしまいました。
中国のテレビもニュースで、天皇陛下から任命を受ける場面が流されています。
16時 外出
市場(これがとても長いのです)を歩き、足壺マッサージを見つけ、1時間30元のコースを頼みました。始まる前に、携帯についているタイマーをセットしておいた。終わったのはなんと20分、時間が短いのです。あまり上手でもないし、帰り道に夕食です。
美味しそうでしょう。これで15元(約200円)です。
22時 ホテルに戻り
24時 結局一日が終わってしまいました。
明日は、この長い旅も終わりに近づきました。一日、休養にしたいと思います。
就寝です
2009年9月16日(水) 28日目 (中国) 済南
7時 起床
8時 朝食
9時 明日からの切符の手配、青島に行くか、北京に行くか、いつ、どんな交通手段で…、地元の旅行社は、バイトの女の子、全く判っていない。
青島海天旅行社の日本部、王部長を思い出した。電話をしたが、日本出張中でお留守、代わりに出た方にお願いをしてみる。
ネットが急に遅くなり、つなげるのが困難になった。
11時30分 ホテル出発
12時 カルフール前で五藤先生と待ち合わせ
昼食
13時45分 日本語学校訪問
申請に関わる事務処理についての話し
16時 山東建築大学の許先生を表敬訪問
18時 夕食
↓見てください「安信」と書かれています。
私は、戸田「安信」 です。
20時 ホテルに戻るのに、乗りました。
BRT、これは公共バスで専用区分された道路を走るバス(一部連結バス)です。
電車のように、キップを買って、ホームに、出入り口はバスのドアが開閉するのに合わせて乗降口の扉が開きます。
BRTと言う乗り物、バスです、公共小汽車の将来を見た。
ホテルで経費の清算、ネット、メール処理とプログを入れて終わり、結構早いです。
1時 就寝
2009年9月15日(火) 27日目 (中国) しんせん・済南
5時 起床
昨夜の雨・風はとても強く、すごかったです。
雨もやみました。
陳さんのマンションです。
エントランス
玄関
りビング
外の眺め(18階からです)
キッチン
この他に、寝室が2室あります。
8時30分に陳さんは出勤、私は荷物整理とメールの処理をしました。
雨もやんで、晴れ間が見えます。
11時に出発して、深せん空港に着きました。空港の廻りの街路樹が風でなぎ倒されているのが見えて、風の強さがうかがわれました。
搭乗手続き→安全検査、ここで乗ってきたタクシーの中に帽子を忘れたことに気がつきましたが、手遅れです。しかも、安全検査でライター(大連で買ってきた、お気に入り、赤峰に続いて2個とも…、トホホホホ)が見つかって没収、なにか悪い予感が…
昼食 (外は、突然の大雨と強い風、飛行機が飛びません)
13時55分 搭乗時間(14時20分発予定)ですが、何にもアナウンスがありません。
14時30分 キャンセル前の北京行きの発時間ですが、搭乗口では皆さん待っています。(結局、この飛行機は、15時に搭乗して16時になって出発した)
ZH9927 済南行きの掲示が出るまで待機です。
深せん空港の喫煙室
ライターはしっかり固定されています
いわゆる普通の灰皿です
ところが、こんな灰皿は初めて見ました。
16時 ランチバックの様なものが配られました。(時間はまだ不明とのこと)
17時(3時間すぎて)ようやく搭乗案内に18時と出てきました。
その後、18時→18時40分→19時30分
ここで、夕食の弁当が配られました。
19時30分→20時→20時30分やっと搭乗です。
23時 済南空港着
24時 ホテルにチェックイン
メールとブロクの処理をしました。
1時30分 就寝
2009年9月14日(月) 26日目 (中国) シンセン
5時 起床
6時30分 シンセン駅着
7時 陳さん(本学院の卒業生)が来た。中国に帰ったら、中国で会いましょうと約束していた。再会はとてもうれしかったです。
陳さんの自宅に行く。
午前中は、よもやま話(習志野時代、東京農工大学大学院、就職、仕事のやり方、人間関係、初めての営業、同期でもやめた人、たくさんの人と出会い、家族の話し、尽きることはありませんでした)
11時30分 昼食(飲茶)…何が食べたいと聞かれて、香港に行けば食べれるかもしれない「飲茶」を希望しました。美味しいです。10品、全部食べました。少しで良いですからたくさんの種類が食べられる、とってもうれしいですね。
会社のドライバーが、陳さんはシンセンに不慣れなため、案内をしてくれました。
13時30分
市内の老街に
古い(アンティーク)カメラの専門店(どれでも1台250元)
名刺サイズより一回り小さな車、ラジコンカーです(170元)
雨風がつよくなり、いったん帰ることにする。
16時 戻る(ネットで台風が来ていることを知る)
済南事務所の五藤さんから日本語学校訪問の報告があり、明日からの北京の予定を変更して、済南(山東省)に向かうことにした。まず北京への飛行機のキャンセル、済南への変更、ホテルの予約、現地の日本語学校のアポどり、五藤さんとの連絡、バタバタと処理して、決定です。
習志野のネット接続が調子が悪い。
19時 夕食(あの和民です)※香港には、複数出店しているそうです。
21時 戻り
メール・ブログ・スカイプで日本のUさんとの話し
02時 就寝
2009年9月13日(日) 25日目 (中国) 福清
6時 起床
7時 朝食
食べ放題ですが、持ってきたのはデニィーズで食べるモーニング・プレートと同じです。
ふと見れば、2階で東京の学校が、父兄会でしょうか、それとも説明会
9時30分 チェックアウト、蒸し暑い、そして雨(今回の旅で初めての雨ですか…)
今日の両替レート
10時 学校に
4月期で入学した二人の学生の親が来て話しをしました。
10時30分 10月期入学生の入国前説明会(2人の学生の親も来ています)
みんなうれしくて、ドキドキしているだけ、具体的に説明をしたので、とても安心したと言ってくれました。1人を除いて、すでにピザ申請も終わっています。
12時 昼食(学校の日本語教師・スタッフとの会食です)
14時~、これからの申請事務処理などの打合せ
18時 夕食
お店の隅に男性の日本人がひとり、牛丼に手を着けずにいる。お店の人から、何か問題なのか、じっとしているので心配になっている、私たちは日本語が判らないし、その男性は中国語は判らないし、困っていると言われた。声かけたら、ここで待っているようにと中国の友人に言われて待っているとのことで、お店の人に心配ないと伝える。宿泊しているホテルも判っているし、なにか問題があったら、私の携帯電話に連絡するように伝えた。
このお店、「吉野屋」ではなく「吉朗屋」、吉野屋のパクリだと思います。メニューには牛丼や豚丼のほか味噌ラーメンなどが有り、店内には日本の歌が流れていました。(ここには、以前に日式ラーメンが有って何回か来たのですが、お店が変わっていました。
19時30分 福清からシンセンに夜行寝台バスで向かいます。距離と値段を見てください。
ドイツのボルボのバスです。
20時 浦田で休憩
20時30分 就寝
バスは、ノンストップで走り続けます。
2009年9月12日(土) 24日目 (中国) 福清
7時 起床
昨日の山下りでふくらはぎが痛い。
8時 朝食
9時迎えが来る。
学校訪問
今日は、土曜日でお休みですから静かです。
掲示板に、大学新入生対象に行われている軍事訓練の様子が紹介されていました。
以前の面接で、「これまでで、一番楽しかったことは何ですか」の質問に、「入学時の訓示訓練が一番楽しかった」と答えた学生が居た。
10時 説明会
11時30分 昼食
13時 面接
15時 申請についての打合せ。
18時 夕食
19時 お風呂屋さん、日本のスーパー銭湯の様です。
帰りに、車のワイパーにはさまれていた宣伝です。なんと「運転代行」ですね。中国で初めて見ました。先日もテレビで、飲酒運転の取り締まりの様子を放映していましたので、皆さん利用するのでしょうか。
↑気がつきますか。日本の代行は距離で清算ですか、中国は「時間」のようです。
23時 ホテルに戻り
メールとブログ処理しました。
1時 就寝
2009年9月11日(金) 23日目 (中国) 福州・福清
5時に目が覚めました。
6時30分 福州駅着
7時 街の中の定食屋で、朝食
8時 学校着
10月期生の不交付理由を申請した学生に話しをしました。学生は再申請しないと言うのです。
来年、4月期生で入学を希望している学生(1人)に、説明と面接をしました。
先に、不交付だった学生か帰らずに居ました。何かあきらめきれないものあると感じた。学校側の話しだと、お父さんが大反対しているそうです。そこで、昼食後学校の人と家庭訪問をすることにしました。
昼食(学校の食堂で食べた。ちなみに、学生は5元で食べられます)
学生に言ったら、途中の川で橋がなくなり、バイクで無いといけないと説明した。では、バイクで行こう、行ける所まで車で行く。しかし一山超えて次の山の上に自宅はあった。
学生の家、屋根の衛星放送受信用のアンテナ
父親と母親が居て、お話を聞きました。理由は、高考(中国の大学入学統一試験)の結果が良くなかった、そして今回もJ-TESTも良くなかった、これで2回ダメなんだから、3度目の再申請はさせないと。
私は、2度目の日本留学に関しては、5月末の申請、受けたJ-TESTは、5月に受験、短期間の勉強だったので130点台しかとれず合格しなかった。しかし7月の受験では290点台をとったが申請には反映できなかった。ここであきらめるのはとても簡単で、努力をすることの方が困難なこと、11月の受験結果が出れば来年4月期生で留学が可能名古とを説明した。お父さんは、私たちの話しを聞いて納得していただいた。
下山途中にあった、樹齢1600年という杉の古木を見た。(抱きついた)
入口で村の人の売っていた白いもの…?(食感はクワイのようにショリショリ、甘くて、みずみずしい、生まれて初めて食べました)
帰り道は、途中から山の中を徒歩で下った。
途中で見た、福州の町
いったん、学校にかえりました。
18時 福清から迎えの車が来てくれた。
20時 福清融橋大酒店に到着
21時 夕食
足壺マッサージを受けました。
24時 就寝































































































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